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三宅先生

 安藤昌益を研究していた三宅 正彦氏(愛知教育大名誉教授、日本思想史)が23日夜、滞在先の大館市内で急死した72歳であった。江戸時代の思想家安藤昌益の研究で知られ、編著書に「安藤昌益と地域文化の伝統」「安藤昌益の思想的風土—大館二井田民俗誌」など。資料収集で30年ほど前から年2回、昌益の墓がある大館市に通い続けた。研究者が通い慣れた地元、それも目と鼻の先の比内町で命を落としたが三宅先生はすごく満足であったかも知れない。

    安藤昌益(1703~1762)思想家、実践家。
 自然と人間との関係が極度の緊張関係にある現代は、さまざまな困難に直面している今日、自然と人間の調和をめざす安藤昌益の思想が生きてくる。

 狩野 亨吉によって見出し、紹介された。江戸期思想界の巨人、安藤昌益。亨吉は、昌益の独創による、農本的共産主義とでもいう、当時にあって驚倒すべき原理を説いたその著書、「自然真営道(しぜんしんえいどう)」を1899年(明治32年)35歳のときに掘り出し、29年の歳月をかけ、1928年(昭和3年)初めてその全貌を明らかした。

 狩野 亨吉とは(1865年9月17日(慶応元年7月28日) - 1942年(昭和17年)12月22日)は旧制一高の校長を務めた近代日本の教育者である。夏目漱石の友人としても知られ漱石の代表作『吾輩は猫である』の飼い主、珍野苦沙弥(くしゃみ)先生のモデルともいわれる。
生まれた地は三の丸の現在の石田ローズガーデンである。

 昌益のその人生の詳細は定かでは無く現代で言うエコロジーと農業の重要性を説き、差別と支配の根絶のために独立自営農民の必要性と「自然真営道」を唱えた。
思想家としてだけではなく、医者としても優れた技術をもち、八戸藩下で町医者としての信頼も得て後に大館市仁井田に帰郷。
by titeki-oota | 2007-03-27 09:48 | Comments(0)

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by タケちゃん