三宅先生
2007年 03月 27日
安藤昌益(1703~1762)思想家、実践家。
自然と人間との関係が極度の緊張関係にある現代は、さまざまな困難に直面している今日、自然と人間の調和をめざす安藤昌益の思想が生きてくる。
狩野 亨吉によって見出し、紹介された。江戸期思想界の巨人、安藤昌益。亨吉は、昌益の独創による、農本的共産主義とでもいう、当時にあって驚倒すべき原理を説いたその著書、「自然真営道(しぜんしんえいどう)」を1899年(明治32年)35歳のときに掘り出し、29年の歳月をかけ、1928年(昭和3年)初めてその全貌を明らかした。
狩野 亨吉とは(1865年9月17日(慶応元年7月28日) - 1942年(昭和17年)12月22日)は旧制一高の校長を務めた近代日本の教育者である。夏目漱石の友人としても知られ漱石の代表作『吾輩は猫である』の飼い主、珍野苦沙弥(くしゃみ)先生のモデルともいわれる。
生まれた地は三の丸の現在の石田ローズガーデンである。
昌益のその人生の詳細は定かでは無く現代で言うエコロジーと農業の重要性を説き、差別と支配の根絶のために独立自営農民の必要性と「自然真営道」を唱えた。
思想家としてだけではなく、医者としても優れた技術をもち、八戸藩下で町医者としての信頼も得て後に大館市仁井田に帰郷。